平湯インターのすぐ横に、静かに息づく森があることを、ご存知でしょうか。
『平湯探勝路』と名付けられた遊歩道で、キャンプ場から歩いて行ける立地ということもあり、地域の人の手で定期的に整備されている様子がうかがえます。
以前、ここで森林浴ができないだろうかと、歩いてみたことがありました。
滝、河岸段丘、樹種の多様さ、動物たちが息づく様・・・自然観察には最適!
ですが森林浴となると話は別・・・
車の音、高速道路の橋脚、立ちはだかる急な石の階段…静かに五感を開きたい森林浴には不向きなポイントの多い森だと判断し、断念していました。
そのフィールドから、ここで森林浴を!とご依頼をいただきました。
都会から訪れた方が、ただ通過するのではなく、ここを森の入り口として深い森にも関心を寄せていただける場所にできないだろうか?そのために森林浴が有効ではないだろうか?という熱い想い!
一度諦めた場所・・・断ることもできました。でも森林浴に森の入り口としての可能性を感じてくださっているという、担当者の方の熱い想い!しかも一過性のイベントではなく森林浴を継続して取り入れることを考えたいとも。
森林浴ファシリテーター冥利に尽きるこの言葉に、この森で森林浴ができる可能性を考えて、もう一度歩いてみようと思いました。
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下見と検討を重ね、できたプログラムは、車の音、高速道路の橋脚、そして急な階段を、隠したり、気づかないふりで通り過ぎるのではなく、あえて「見せる」ということでした。
今私たちが見ている森の景色は、この森の長い歴史のほんのひととき。地球の歴史を軸に考えると、今見えている姿はほんの一瞬です。
森の過去から現在へと想いを巡らせて。そこで静かに息づく命たちに思いを馳せて、樹木と一体になって五感で感じる森は、生命力と逞しさに溢れて力強く、繊細でした。
「自分軸ではなく、森の時間軸を想像すること」を容易にしたこの試みは、きっと都市部に暮らす人が、身近な森で森林浴をする時にも使える手法だという手ごたえにもなりました。
森林浴に適した森を「選ぶ」も必要だけど、何を伝えるか、何を感じて持ち帰っていただくか、その伝え方やプログラムの組み立て方の手腕をみがくことの大切さを体感した今回のご依頼でした。
いつも車で通り過ぎるだけの道のすぐそばに、こんなにも深い森があるということを初めて知りました。少し歩くだけで車の音は遠ざかり、木が生き生きとして感じられました。